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無職無収入全治6ヶ月で極度の緊張症から人気講師になった実話

借金を抱え、無職無収入、全治6ヶ月の絶対安静の病院のベッドから年間講演依頼100本を超える人気講師になった男の実話

 

■『ボキッ、っと鈍い音が足元で聞こえた。』

 

その日、私は勤めていた土木会社の社内野球大会で一塁を守っていました。
中学生の頃、野球部でショートで5番を打っていた私は朝から張り切っていたのです。

 

2回の裏、相手バッターの打った打球がフラフラと一塁方向に上がりました。
「よしっ!!もらった。」
野球少年だった私はイメージの中でその打球を猛ダッシュで追いかけ、華麗にダイビングキャッチを試みましたが・・・。

 

しかし、現実にそこにいたのは40歳を過ぎたさえないオジサンになった私。
かつての野球少年の足はもつれ、打球を見失い、次の瞬間には頭からグラウンドに突っ込み、ごろごろっと2回転ほど転げまわりました。

その瞬間、『ボキッ』っと鈍い音が足元で聞こえました。

 

グラウンドに大の字になって横たわる私の目の前には青く青く広い空に、ぷかぷかと浮かぶ真っ白な雲。

 

 

「なんて、きれいな青空なんだろう。」
そう思いながらゆったりと時間が過ぎるのに身をまかせていると、私の顔をのぞき込む会社の人たちの顔が次々と現れて、こう言います。

 

「大丈夫か?」
その声で我に返った私は左の太ももの辺りに違和感を感じ始めました。
その違和感を確かめようと足元を見ると、私の左脚は股関節から「くの字」に折れ曲がっていました。
次の瞬間激痛が襲います。

 

「痛い!!」

 

私の左脚が悲鳴を上げています。痛みが脚となっているのか、脚のどこかの一部が痛みを感じているのか、何が起こっているのか、夢の中なのか現実なのか、どこにいるのか、周りに誰がいるのか、ここで何をしているのか、気持ちがバラバラになり、今の自分の状態がまったく、理解できません。

 

そのまま地元の外科病院に救急搬送された私はそれから4時間の間、病室で痛みと一緒に過ごすことになりました。外科の先生が手術中で診察ができないと言われました。田舎の病院には先生が少ないのです。

 

人間の身体って不思議ですね。
痛みが激しいはずなのにしばらくすると痛みを感じなくなるんです。
病室で横たわったまま「このまま深く眠りたい」と思っている自分がいました。

 

痛みを感じない自分がそこにいました。
長い長いとても長くて短い時間が過ぎました。

 

このまま眠ってしまいたいと思いながら実際に寝ていたのか起きていたのか分からないまま、どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。ようやく担当の先生が現れ診察が始まりました。

 

すでに自分で脚が痛いのか、無痛なのか、よく分からない。
「どうせ、脱臼だろう。すぐに治るさ」

 

そう自分に言い聞かせていましたが、くの字に折れ曲がったままの左脚が目に入るたびに、何かしら深い深い不安感が心に広がっていきました。

 

MRIを取り終えてから、外科の先生がこう言いいました。
「酒井さん、これはたいへんですよ。
左脚が大腿骨から脱臼してて、さらに悪いことに複雑骨折していて骨が粉々になって砕けています。」

 

よく、分からなかった。
先生の言っていることがよく分からなかった。分かりたくなかった。
だたの脱臼だと思っていたし、そんなに重症のはずじゃない。
オレはそんな重症の怪我をする人間じゃない。
だから、先生の言っていることがよく分からなかった。

 

外科の先生が言う。
「早くても全治6ヶ月。これから足をひっぱって元の位置に戻さないといけませんが、もし、戻らない場合には切開をして緊急手術をします。普通に歩けるようになるかどうかは分かりません。」

 

それからはよく覚えていない。
手術室でたくさんの看護士さんや先生が麻酔の効いた俺の左脚に何かをしていた。

 

いろんな装置の音がしていた。看護師さんが
「ダメだねえ。入らないね。」
という。

 

先生がうんうんとうなりながら左脚を引っ張っている。
ゴリゴリという音がする。

 

ピコピコピコピコ・・・心電図の音だろうか。ものすごい速さで絶え間なく鳴っている。
これは自分の心臓の音?その音を聞きながら
「こんな時間は早く過ぎ去ってくれ」
と願っている。

 

でも、さっきからぜんぜん事態は変わっていないことが周りの声から分かる。分かるけど、その状態にいるのは自分のことなのかどうかはっきりしない。
夢なのだろうか。よく分からない。
麻酔で痛みはない。目の前には手術室の明かり。看護師さんの顔、顔、顔・・・よく覚えていない。

 

それからどれくらい経ったのだろうか。
ゴキっという音が身体の中で鳴ったのを感じた。

 

「入った。」
そんな声が耳に入ってきた。

 

手術室から病室に移されてベッドで横たわって天井を見ていると、先生が病室に入ってきてこう言った。

 

 

「骨は元の位置に戻りました。でも、絶対安静です。脚を牽引するのでこれから3週間は上を向いたまま、天井を見たままの今の状態で過ごしてください。トイレも食事もそのままです。横たわったまま、上を向いたままで全部してください。寝返りも絶対にしないでください。
ベッドで上を向いたままの姿勢でいてください。」

 

病室から出て行く先生を見ながら、
「なんで俺はこんなことになったんだろう。」
と、昔のことを思い出していた。

 

■『俺は28歳で独立して社長になった。』

俺は28歳で独立した。
広告代理店の営業を経験した後に、新宿で独立した。そして、代表取締役社長になった。なんだか偉くなった気がしてうれしかった。

 

当時はちょうどバブル景気が弾け始めた頃。
何も分からずに、何も考えずに、希望だけを手にして独立した。
でも、希望だけでは売り上げが上がらないし、会社を維持できないことを理解するのにそれほど時間はかからず、あっという間に借金が増えた。

 

それからは、給料と事務所代を捻出するために、何でもやった。
チラシの制作、会社案内作成、取材、企画書作成、POP制作、カメラマン、写真の貸し出し、モデル派遣、撮影手配、アイデア商品販売、キャラクターグッズ販売、パソコン家庭教師派遣、ペットグッズ販売、ネット通販、コンサルティング、シャッター絵画制作、パソコン教室・・・深川の富岡八幡神社で露天商もやった。新興宗教の仕事も請け負った。

 

一生懸命に走ったから仕事はあるにはあった。
でも、経営の素人だから全然儲からなかった。
朝から晩まで仕事をした。走って走って走った。そして、過労とストレスで胃に穴が空き入院した。退院してまたがんばった。血尿がでた。それから朝から晩まで仕事をして、また胃に穴が空き、入院した。

 

そんなことをしているうちに仕事に意欲がなくなってきた。
仕事に身が入らず、だら~っと過ごすことが多くなった。だからお金もなくなってきた。ついにはその日の電車代や昼飯代にも事欠くようになった。

 

当たり前のように事務所の更新代金が払えなくなった。
不動産屋と喧嘩した。でも、金がないから勝ち目はない。
罵声とともに事務所を追い出された。

 

気がつくと30代後半の歳になっていたけど、金もない、信用もない、人脈もない、商品もない、事務所もない、自分には何にもないことにその時に初めて気がついた。
会社で同期だった奴らはもう課長や係長になっていた。
「自分の能力も考えずに独立なんかするからだ」
そう言われた。

 

朝から何もする気が起きない日々が続き、ウツになった。誰とも会いたくなくて、カミサンが会社にでかけるまで布団から出ることができなくなって、身体から生きるという力が抜け落ちた気がした。ごろごろ、だらだらして、ぼ~っとして過ごした。

 

その間、カミサンはずっとちゃんとまじめに働いていた。
朝早くにカミサンが会社に出かけてから俺は虫のように布団からのそのそと這い出して、マンションの隣の部屋に物音が聞こえないようにそっと家の中を歩いた。
静かに玄関のドアを開けて外にでて下を向きながら歩いた。

 

住んでいたのは西船橋。駅から北へ向い、行田公園まで歩く。
行田公園は広い。だから人の視線が気にならない。
子どもと遊んでいるお母さんがいた。
本当に子どもってキャッキャっと言って遊ぶんだね。

 

夕方まで公園のベンチで横になって過ごし、夕日が見えると家に帰った。そんな毎日が数ヶ月続いた。

 

 

公園から家に戻ると、カミサンが仕事から帰ってくるまでに野菜を洗って夕食を作った。料理なんかできないけど、何かしないと自分の存在価値が無であることを感じるので、野菜を洗って、ちぎって、皿に盛った。

 

虫みたいな生活。数ヶ月したとき、
「このままではダメになる。」
と不安になり、手元にあった雑誌に載っていたホームヘルパー3級の資格講座に申し込んだ。なんでもよかったんだ。何か、何かのきっかけが欲しかった。

 

ホームヘルパー講座の教室では一緒に学ぶ人から元気をもらった。
指導員さんからも元気をもらった。介護の現場で実習をさせて頂き、おじいちゃんやおばあちゃんからもたくさんの元気をもらった。
「若いうちに好きなことやっとけ。がんばれよ。」とおじいちゃんに励まされた。

 

だから、少し元気がでてきた気がした。
「もう一度、就職しなおしてゼロからやりなおそう」
そう思った。

 

■『俺は40歳を前にして土方になった。』

そして、40歳を目前にしたオジサンである俺は就職活動を開始した。
当たり前だがどこも採用してくれない。
書類は送り返され、面接はストンストンと面白いように落ちた。

 

ある会社で面接を受けた時、若い若い担当者にこう言われた。
「酒井さん、独立なんかしなけりゃ良かったんじゃないですか」

 

そりゃそうだ。そうりゃそうだ。
もう、どこでもよかった。自分を必要としてくれるところがあれば、どこでもよかった。
だけど、でも、どこにも俺を必要としてくれる会社はなかった。

 

頭の中で何度も何度も声が聞こえた。
「自分の能力も考えずに独立なんかするからだ」
「酒井さん、独立なんかしなけりゃ良かったんじゃないですか」

 

そう、その通りだ。そうかもしれない、きっとそうなんだ。
そりゃそうだ。そうりゃそうだ。

 

数ヶ月したとき、まったくの偶然で地元新潟の土木会社で採用が決まった。
カミサンを残して、俺は生まれ故郷の田舎に一人で戻った。

 

そして、仕事をした。
ツルハシを持って、ヘルメットをかぶって、下水道を掘った。
一日中、掘った。
広い道は重機が入るからユンボでごっそりと土を掘る。
でも、住宅地狭い敷地内には重機が入らない。
だから、人力で掘る。

 

ツルハシとスコップで土を掘る。
埋まっている瓦礫を手で掘り出す。
汗と汗と汗で目が見えないくらいに掘る、掘っても掘ってもまだ仕事はある。
土はどこまでもどこまでもあるのだ。

 

だから、まだ掘る、もっと掘る。毎日、毎日、掘る。
「酒井くんは土方(どかた)になったんだよ。」
と社長に言われた。

 

そう、土方だ。
これから一生、土方だと思った。
それもいいと思った。
一生懸命にツルハシとシャベルを持って土方をやろうと思った。
これが俺の人生なんだと思った。

 

 

 

だから、カミサンに電話した。
「田舎で仕事にも慣れてきたから、お前も東京の仕事に整理をつけて、こちらに来て欲しい。」

 

 

カミサンは承諾した。
そして、一年後、カミサンが田舎にやってきた。
東京から電車を乗り継いで田舎にやってきた。
カミサンは田舎の駅に降り立った。

 

ところが、その駅でカミサンを待っていたのは俺ではない。
カミサンを出迎えたのは土木会社の事務のおばちゃんだった。

 

その日、俺は朝から勤めていた土木会社の社内野球大会に参加していた。
そして、一塁を守っていた。中学生の頃、野球部でショートで5番を打っていた俺は張り切っていた。

 

2回の裏、相手バッターの打った打球がフラフラと一塁方向に上がり、
「よしっ!!もらった。」
野球少年だった俺はイメージの中でその打球を猛ダッシュで追いかけ、華麗にダイビングキャッチを試みた・・・。

 

しかし、現実にそこにいたのは40歳を過ぎたさえないオジサン。
かつての野球少年の足はもつれ、打球を見失い、次の瞬間には頭からグラウンドに突っ込み、ごろごろっと2回転ほど転げまわった。

 

その瞬間、『ボキッ』っと鈍い音が足元で聞こえた。
地元の外科病院に救急搬送された俺は医者からこう言われた。
「酒井さん、これはたいへんですよ。左脚が大腿骨から脱臼してて、さらに悪いことに複雑骨折していて骨が粉々になっています。」

 

・・・そう、カミサンが東京から電車を乗り継いで田舎にやってきたまさにその日、俺は病院でくの字に折れ曲がった左脚の痛みとともにベッドで横たわって天井を見ていたのだ。こんなことが本当に人生で起こりえるタイミングなのだろうか、と不思議に思うかもしれないが、本当にカミサンが田舎にやってきたどんぴしゃりのその日に俺は全治6ヶ月の大ケガをした。

 

そして、田舎の駅でカミサンを出迎えた土木会社の事務のおばちゃんは、改札から出てきたカミサンにこう言ったのだ。
「あんたのダンナは今日の会社の野球大会で怪我をして病院にいる。
左脚の大腿骨を脱臼して、骨が砕けていて、全治6ヶ月だよ。」

 

カミサンと久しぶりに再会した俺は病院のベッドの上で天井を見ていた。
カミサンの顔を正視できなかったから、天井を見ていた。
声を出すと感情がどうなるか自分でも分からないので黙っていた。
カミサンも黙っていた。そして、カミサンはベッドの脇に座って俺の手を握ってくれた。

 

「ごめんな」
と、カミサンに聞こえないように言った。

 

数日後、俺は土木会社の社長に病院で辞表を渡した。これで、無職、無収入、絶対安静の「ゼロ」の俺が出来上がった。カミサンは毎日毎日病院に見舞いに来てくれた。

 

入院してから3週間、染みのついた田舎の病院の天井と窓から見える冬に向かう北陸特有の鉛色の空を一日中見て過ごす。冬に向かう空はちょっと手を伸ばせば届きそうなくらいに低い。低くてどんよりとしている。冷たそうな雨が降ってきた。寝返りができないのでお尻や背中が痛い。

 

ウンチもおしっこも若い看護師さんを呼んで処理してもらう。そりゃ、恥ずかしいさ。そして、病室内はくさい。自分の排泄物の匂いが室内にこもっている。空は鉛色。髪をもう何日洗っていないだろう。かゆくてかゆくてかゆくてかゆい。指でガリガリと頭を引っかくと爪の中が脂の混じった汚れで真っ黒になる。

 

眠れない夜に、天井を見ながら、何にも無い自分とこれからのことを考えて怖くなった。俺は人生に失敗したかもしれない・・・本気でそう思った。

 

■『一冊の本が光って見えた。』

3週間が過ぎ、少しずつリハビリが始まった。そこからさらに2週間が過ぎ、車椅子に乗れるようになり、さらに1週間が過ぎ、松葉杖で歩行練習が始まった。

 

痛みはあるけれど、ぴょこぴょこと歩けるうれしさの方が勝っていた。だから、ちゃんとリハビリをした。自分の力で自分の好きな時におしっこをウンチができることが幸せなのだと初めて知った。

 

 

ある日、看護士さんがこう言ってくれた。
「酒井さん、30分なら外出してもいいよ。」

 

その言葉を聞いて身体の細胞が「わーい」と喜んだ。だから、すぐにカミサンに電話をして病院に来てもらい、車で本屋に連れて行ってもらった。

これから俺が言うことを聞くと、もしかしたら
「こいつは何を言ってるんだ?」
と思うかもしれない。
でも、事実だから書く。

 

松葉杖をついた俺が本屋の中に足を踏み入れた時、左斜め前方に平積みされた本が白く光って見えた。
白く、ぼ~っと光って見えた。ぼ~っとだ。

 

だから、その本を手に取った。そして、なぜか気になった。
そのまま中身も見ずにレジに並んでその本を買い、病室に戻って読み始めたら、面白くて面白くて、面白すぎて、すぐに夢中になった。
その日のうちに3回読み直した。
そして、身体の中からぐんぐんと元気が出てくるのを感じた。

 

その本は「非常識な成功法則」(神田昌典著)。
金が無いので、カミサンに頼んでクレジットカードの限度枠を全部使ってその著者の出している本やビジネス教材を全部買ってもらった。本で参考文献として紹介されていた書籍もほとんど買った。そして、朝から晩まで病院で読んだ。読み漁った。

 

どんぶり飯をむさぼるようにガツガツと本を読み込んだ。
ある日の朝、頭にこんな言葉がひらめいた。
「ちゃんとビジネスをしている人は思いつきで商売をしていない。
行き当たりばったりで仕事をしていない。
全体を体系的に考えて、計画的にビジネスを構築している。」

 

私は馬鹿である。間違いない。
こんな当たり前のことに気づくのに独立してから10年以上も必要だったのだ。

 

それから、ランチェスター戦略、マーケティング、コピーライティング、インターネットマーケティングに関する本、ビデオ、CD、DVDを買いまくった。
そして、朝から晩まで勉強した。

 

そして、そして、とうとう、俺は病室でこう決心したんだ。
「よし、もう一度、起業しよう。商売をしよう。」

 

そして、書いた。初めて書いた。
事業計画書を初めて書いた。鉛筆が何本も擦り切れるくらいに書きなぐった。
鉛筆を握る手に力が入りすぎて紙が何度も何度もビリビリ破れた。

 

事業計画書には想定ターゲット、差別化要因、競合の強み弱み、見込み客のいる場所、見込み客の読む媒体、見込み客の興味・関心、見込み客が反応するコピー、見込み客が興味を持つ文章、見込み客へのアプローチ方法、見込み客の買いたくなる商品特徴、価格、集客商品と収益商品、既存客を継続してフォローする仕組み、自分の経験や知識が生きるマーケット、競合に勝てるポジション、USP、コスト、実行計画・・・を狂ったように全部書きまくった。

 

2週間かけて全300ページの事業計画書が出来上がった。

 

 

退院後、すぐに計画を実行した。金が無かったので自分で登記して、法人化した。
社長が俺、カミサンが役員。たった二人の会社。

 

そして、走った。思いっきり走りだした。

 

一年後に累計売り上げが一億円になった。
時間と金ができたから、カミサンと毎日ドライブに行き、温泉に行って、飲んで、食って、遊んで歩いた。

 

でも、しばらくすると遊ぶことに飽きた。
だから、毎週、毎週東京に出た。

 

遊んだんじゃないよ。東京で経営戦略、マーケティング、ビジネス心理学、インターネット通販、コピーライティング、コミュニケーションに関するセミナーに次から次へと参加した。朝から晩まで経営を、商売を、戦略論を、マーケティングノウハウを学んだ。

 

家でもビジネス教材のビデオ、CD、DVD、本を山ほど買いあさって、朝から晩まで観て、聞いて、書いて、それを理解して、身に付けようとした。

 

その時に1千万円以上をビジネスの勉強につぎ込んだ。
そして、学んだことをすぐに応用して実践した。すると面白いように結果がでた。

 

経営戦略、マーケティング、ビジネス心理学、インターネット通販、コピーライティング、コミュニケーションにどっぷりハマッった。面白くて面白くて夢中になった。

 

 

勉強して、計画を立て、実践して、検証して、やり直して・・・を繰り返して、どんどん結果がでた。お金が入ってきた。だから、無我夢中になった。

 

ある日、学んだことと実践したことをまとめてレポートを書いた。俺と同じように悩んでいる中小企業のためになれば、と思って書いた。そして、そのレポートをホームページで公開したんだ。

 

レポートを公開して数ヶ月経った時、一通のメールが届いた。
そのメールが俺の人生の進路を大きく変えた。

 

■『人生を変えた1通のメール』

レポートを公開して数ヶ月経った時、1通のメールが届いた。
そのメールはある出版社の編集長から送られてきたもの。

 

「酒井さんのビジネスレポートを読みました。
ビジネスと心理学を融合させている話に興味がわきました。よかったら本を書いてみませんか。都内に来ることがあれば、お話ししたいです。」

 

ありえない、こんなウマイ話はありえない。
まず、ない。ない、ない、無い。

 

そんな出来すぎた話はない。絶対にありえない・・・でも、本当かもしれない。
だから、すぐ返信した。
「企画書を持ってすぐに伺います。」

 

その晩のうちに本の構成案をまとめた出版企画書を書き、それを持ってすぐに東京行きの新幹線に飛び乗った。新橋から本社のある汐留に向い、指定された住所にたどり着くと、それはそれは大きな大きな見上げるほどのそびえ立つビル。不勉強な俺は後で知ったのだが、その出版社は有名な大手出版社。

 

編集長と会った俺は1時間にわたり出版企画のプレゼンをした。
「これは人生のチャンスである」
と感じていたと思う。だから、必死だった、と思う。
女神様が微笑んでくださったのだから、その微笑に応えたいと思っていた。

 

それから3ヵ月後に完成したのが1冊目の本「小さな会社が低予算ですぐできる 広告宣伝心理術」。

 

 

完成した本を手に取った時にはなぜか笑った。俺が本を出せるなんて信じられなかったけど、手元にあるのは俺の本なのだ。この間までツルハシを持って、下水道を掘り、病院でウンチやおしっこを人様に面倒みてもらっていた俺の本なのだ。その本を手にすると笑えた。なぜか、笑えた。なんで笑ったンだろう。

 

この本が重版を重ね、中国語版も発売され、売れ続けたため2冊目の本の出版依頼が来た。それから1年かけて書いたのが「10倍売れるキャッチコピーがスラスラ書ける本」。そして、3冊目の「売り上げが3倍上がる!販促のコツ48」、4冊目「どん底からの大逆転!」、5冊め「心理マーケティング100の法則」が世に出ることになった。

これらの本が出てからちょっと困ったことが起こり始めた。
それは・・・。

 

ちょっと困ったこと、それは、講演の依頼である。
実は俺は極度のアガリ症で、人前で話をすると声は震え、手足ががくがくとして、のどはからからになり、頭が真っ白になる。

 

広告代理店に勤めていた頃はプレゼンが嫌で嫌でたまらなかった。
独立した後もクライアントを前にして企画書の提案をすると手に汗がにじみ出て、声も手足もブルブルと震え、顔は赤面して、言葉はうつろになり、いつも自己嫌悪に陥っていた。

 

だから、講演なんてとんでもない。大勢の人前で話すなんて死んでもヤダ。
絶対に受けない、と決めていた。
そのため、当初の講演依頼は全部断っていた。
「すいません、できません。」

 

ところが新潟商工会議所の経営指導員のIさんから何度も連絡を頂き、数回お断りしたのだが、それでも連絡を頂いた。

 

「ここまで言ってくれているのに断るのは申し訳ない」
と思った。

 

だから、初めて講演の依頼を受けた。
せっかく依頼をもらったのだからちゃんとやりたいと思った。
そして、1週間かかって40ページの講演台本を書き、練習を50回やった。
でも、不安、不安、不安。

 

ある日、地元で帳簿を見てもらっている会計事務所が毎月勉強会を開催していることを思い出した俺は、事務所の所長に電話してこう言った。
「一回、オレに勉強会で講師をさせてもらえないですか?」
そして、会計事務所での講師をやることになった。新潟商工会議所での講演の予行演習である。

 

その当日、会計事務所の2階の会議室は超満員。
勉強会開始5分前。
「やっぱり、無理だ。できないわ。緊張してきた。。。」

 

何を話したかよく覚えていないけど、一生懸命に走って、話して、2時間が過ぎた。
そして、多くの多くの拍手を頂いた。だから、ほんのちょっとだけ自信がついた感じがした。

 

そして、新潟商工会議所での講演会当日。
商工会議所に行く前に新潟の総鎮守白山神社に行って白いお守りを買ってきた。
それを胸のポケットに入れて神様にお願いした。
「どうか、参加される方の役に立てる講演ができますように。」

 

会場にはすでに50人を越える大勢の聴講希望者が集まっていた。
新潟商工会議所の経営指導員のIさんの講師紹介が始まる。
「今日の講師の酒井先生は新潟に在住で、本をご出版されており・・・・」

 

俺は講師席でその言葉を聞きながら
「オレはついこの間までツルハシを持って土方してたんだぞ。
先生じゃない、先生じゃない。いったい、オレはなんでここにいるんだろう。
最初に何を言うんだっけ。なんでみんなオレの方を見てるんだ。資料は持ってきたっけ。あー、そろそろ出番だ。ドキドキ、顔がこわばる。首が痛い。吐きそうだ。ゲロゲロ気持ち悪い。大丈夫か、本当に。」
そんなことを考えていた。

 

そして登壇。
マイクを握る手が汗でびっしょりになる。
100個を越える目玉がこちらを見ている。
しーんと静まり返った会場。
参加者の顔がよく見えない。声が震える。

 

 

「きょ、きょ、今日はお招きを頂きありがとうございます。
新潟商工会議所のけい、けい、けいえい指導員のIさんに心から御礼申し上げます。」

 

考えてきた挨拶がうまく言えない。完全に舞い上がっている。
そしてこう言った。

 

「実は私は先生ではなくつい最近までツルハシを持った土方だったんです。」
「わはっは~!!」
会場の後ろから笑い声が聞こえた。
その笑い声が徐々に会場に広がり会場全体が笑った。
「わはっは~!!わはっは~!!」

 

会場が笑いで包まれた。
この瞬間、自分の中で何かが吹っ切れた。
もう大丈夫だと思った。
楽しもうと思っている自分がいた。

 

それから3時間無我夢中でしゃべった。
自分でしゃべっているんじゃなくて、何か頭の上から身体に言葉がすーっと入ってきて、それが口からぽろぽろと飛び出している感じ。
参加者のみんなの顔が見える。
うなずいている顔がある。笑っている声が聞こえる。
ノートにカリカリとメモを取っている人がいる。

 

「本当に俺は3時間しゃべったのだろうか?」
そう思った。そう思った時には講演時間が終了していた。
気がつくと目の前には名刺交換を希望する方の長蛇の列。

 

「酒井さん、今日はありがとうございました。すっごく元気がでました。」
「酒井先生、こんなに面白い講演会は初めてです。ありがとうございます。」
「とても役に立ちました。明日からまたがんばろうと思います。」

・・・多くの参加者の方にそう言われた。

 

そして、商工会議所の職員さんがこう言ってくれた。
「こんなに長い名刺交換の行列ができたのは初めてですよ。
みなさん、酒井さんと挨拶をしたかったのでしょうね。」

 

う・れ・し・い、と、俺の心の中で何かが喜んだ。

 

無事講演が終了してほっとした。へとへとになった。胃がキリキリと痛んだ。そして、やっぱり、思った。

「俺は講師には向いてない」

 

■『人生を変えた1本の電話』

それから数ヶ月した時、ある有名な講演家が地元で講演をすることを知った。
以前、その人の本を読んだことがあり、とても感動した。講師としては毎年200回以上講演をしている、いわゆるカリスマ講師の一人だ。

 

そのカリスマ講師が隣町で講演をすることを知った。
でも、聞きに行きたいと思わなかった。

 

するとカミサンが
「絶対に行った方がいい」
と言う。

 

だから、しぶしぶ、会場に行って講演を聴いた。
講演後に名刺交換をした。そして、そのまま家に帰った。

 

翌日、家の電話が鳴り受話器を取ると、昨日のカリスマ講師からの電話だった。

「酒井君、君のブログを読んだけど面白いなあ。
商売のことが分かりやすく書いてあって、面白い。
君は講演はやっていないの?」

「実は先日生まれて初めて新潟商工会議所で講演をしました。」

「その時に撮影したビデオはある?」

「はい、カミサンが撮影したものがあります。」

「じゃあ、それ送ってよ。」

 

ということで、そのカリスマ講師にビデオテープを送った。
それから3日後にまた電話が鳴った。

 

「酒井君、ビデオをありがとうな。
ビデオを見たけど君の講演はとても面白い。
一度、私の地元で講演をしてくれんか。」

・・・そんないきさつがあり2ヵ月後にそのカリスマ講師の地元で二度めの講演をすることになった。

 

「小規模な身内の集まりでの講演だろう・・・。」
と思っていたので気楽に会場に向かった。

 

カリスマ講師と地元の商工会議所の方に出迎えて頂いた。それからご飯をご馳走になり、名所を案内して頂き、会場へ。
到着したのはその地元で一番大きな大きなホテル。

 

「えっ!ここですか?」

 

ホテルに入り、エレベーターで上階に昇る。
「今日の会場はこちらです。」

 

案内されたのは見渡す限り広く広い広い大広間。
天井からシャンデリアがぶら下がり、演台には立派な金屏風が設置されていて、会場には机と椅子がいったいいくつ並んでいるのか見当がつかない。

「きょ、今日は何名くらいの方が参加予定ですか?」
「150人です。」

 

それから会場入りしてきた地元の金融機関役員、地元の名士、地元企業の幹部の方たちを次々に紹介され続けて、だんだん頭の中がパニックになってきた。

 

講演担当者が言う。
「酒井先生、今日は参加者の方が全員着席したらお迎えに上がりますので、こちらでお待ち下さい。そして、私が合図をしましたらこちらのドアから会場にお入り頂き、会場中央をまっすぐに歩いて演台に向かってください。場内の照明は消えていますが、酒井先生にはスポットライトが当たりますので足元は見えると思います。お気をつけてご登壇ください。」

 

「えっ!え~っ!!スポットライト!?」

 

大勢のスタッフの方が一生懸命に会場のセッティングをして頂いていることを知っていたので、
「そんな演出は止めてください。緊張しちゃいますから。」
とも言えず、うなずく。

 

続々と人が集まってきた。
会場の席が全部埋まった。場内が紺とグレーと黒のスーツ姿で一杯になった。
すっげードキドキしてきた。心臓が喉まで上がってきた。

 

「では、酒井先生、ドアを開けますのでご入場ください。」
そう言われて会場に一歩足を踏み入れた。

 

どーーーん!!
バチバチバチ。
ものすごい拍手の音がする。
スポットライトに照らされながら歩く。
どーーーん!!バチバチバチ。拍手が続く。
これは夢?
オレは何をしている?
天井のシャンデリアがキラキラ輝いている。

 

登壇してマイクを握る。会場を見渡す。
左手でマイクスタンドを押さえて、右手でワイヤレスマイクを外す。
そして、第一声を口にした。

 

「みなさん、こんにちは!
酒井とし夫です。」

 

「こんにちは!!」
ど~ん、と150人の大合唱。

 

 

びっくりした。
本当にびっくりした。
その時、自分で自分にびっくりした。もんのすごくびっくりした。
なんでびっくりしたのか。それは全然、緊張していない自分に気がついたから。
気持ちがす~っと落ち着いていた。

 

時間が静かに流れて、その中でゆったりしている自分の心の動きを感じていた。
参加者の一人ひとりの顔がよく見える。
ウンウンと大きくうなずいている人がよく見える。
楽しそうに笑っている声があちこちでよく聞こえる。
さかんにメモを取っている人が何人もいる。

 

全力で走った。2時間を突っ走った。
2時間が、ほんの30分くらいにしか思えない自分がいた。
まだまだ話続けたいと思っている自分がそこにいた。

 

司会の人が言う。
「本日は貴重で、そして元気の出るお話をありがとうございました。
皆様、酒井先生にもう一度拍手をお願い致します。」

 

どーーーん!!
バチバチバチ。パチパチ。バチバチバチ・・・・。
ものすごい拍手の嵐の中を退場する俺。

 

ドアの外にでてほっとしたのか、急に便意に気づいた。
トイレに駆け込み、個室のドアを閉めて用を足していると、しばらくして講演会の参加者の方たちがどんどんトイレに入ってきた。
個室から出るに出られずにそこに居ると、話し声が聞こえてきた。

 

「今日の講演は面白かったなあ!」
「おー!楽しかったな。こういう講演ならまた聞きに来たいな。」
「なんか、おれ、やる気出てきた。」

 

個室の中で、俺は両手を合わせて拝んで
「ありがとう」
と言った。

 

そうしたら、心の中で誰かが俺に言った。
「おまえの天職じゃね?」

 

■『そのまま突っ走しっていけばいい。』

その後、講演会に呼んで頂く機会が少しずつ増え、年が経つ毎に依頼の件数が倍々で増えてきた。

 

おかげで今はほとんど毎週全国のどこかに講演に出かけています。
北海道から九州まで各地の商工会議所さん、商工会さん、商工会連合会さん、企業さん、経済団体さん等にお招きを頂き、毎日大勢の経営者、店主、店長、ビジネスマンの方にお会いしています。

 

数年前までツルハシを持って穴を掘っていた男は、今は100人~300人程度の参加者を前にして講演をしても全く緊張しません。開演前もニコニコしています。その会場でその時間を一番楽しんでいるのは自分かもしれません。それくらい楽しんで今は講演をしています。

 

でも、正直に言うと半日かけて講演会場に向うのがしんどい時もあります。
早起きして、10時間以上も電車や飛行機を乗り継ぎ、講演会場で打ち合わせをして、講演をする。その後に懇親会に参加して深夜に床につき、早朝からまた電車や飛行機を乗り継いで次の講演先に向かい、会場で打ち合わせをして、講演を行い、懇親会に参加して夜中にベッドに入り、早朝からまた移動・・・。

だから、結構、しんどいと思うときもある。

 

 

でも、講演が終わり、参加者の方や主催者の方に
「役に立った!」
「元気がでた!」
「やる気になった!」
「楽しかった!」
「ありがとう!」
とか言われて、目の前で喜んでもらえて、握手したり、ハグしたり、一緒に写真を撮ったりしていると、心の中で誰かが言うんだね。

 

「おまえの天職じゃね?」
そして、心がワクワクしてくる。
すぐに次の講演先に向かうのが楽しみになります。

 

20代の頃から自分で何をやりたいのかよく分からなかった。
数え切れないほど失敗して、人に迷惑をかけてきた。
一生懸命やっているのに、うまく行かなかった。
走っても走ってもどこにたどり着くのか分からなかった。
先が見えなかった。何も聞こえなかった、何も手に入らなかった。
何のために生きてきたのか、分からなかったし、自分にはどんな役割と能力と使命があるのか分からなかった。

 

今、講演先でみんなに
「役に立った!」
「元気がでた!」
「やる気になった!」
「楽しかった!」
「ありがとう!」
と喜んでもらえると、天にも上るほど嬉しくなる。
そして、そういう時にはあの人が心の中でこう言うんだ。

 

「おまえの天職じゃね・・?」

 

 

■最後に

この物語を最後まで読んで頂きありがとうございます。
最後の最後に少し変な話をしますが、このページも最後まで読んで何かを感じて頂ければと思います。

 

最近、「大きな流れ」ということを考えることがあります。若い時は理解できませんでしたが、ずいぶんと年齢を重ねてから神様というか仏様というか宇宙というのか天命というのか運命というのか私には分かりませんが、大きな大きな流れに乗ってちゃんと行くべきところに連れて行ってもらえるのかな、と感じています。

 

どこに向かっているのか私の軽い頭では分かりませんが、どこかにちゃんと向かっているのでしょう。どこに連れて行ってもらえるのかは分からないけど、その時その時に自分の足で一生懸命に走っていれば、「そこ」にはたどり着けるのかもしれません、そう思うことが多くなりました。

 

まさか、自分が人様の前で講演をすることが人生の仕事のひとつになるなんて、ほんの数年前までは想像もしなかった。そして、人に「役に立った」「元気がでた」「やる気になった」「楽しかった」「ありがとう」と言われることがこれほど幸せなことを50歳になるまで分からなかった。

 

きっと、馬鹿なんだね。そして、何かを理解するのが遅いんだね。俺は。
でも、馬鹿でも走れるんだね。そして、一生懸命に走っていると世の中には必ず見てくれて、聞いてくれて、感じてくれる人がいるんだ。そういう人との出会いがきっと縁と呼ばれるんだ。

 

今度は誰に会えるんだろう、どんなことを経験できるんだろう、どんなに楽しいことがあるんだろう、そう考えるとわくわくしてきませんか。
だから、これからも走っていこう、そう思ってます。

 

最後まで心を込めて読んでくれて、何かを感じてくれた
あなたにありがとう!です。

 

そして、各地の会場で講演や研修会に参加頂いたあなたに心からありがとう!です。いつかあなたとも会場で会える日を楽しみにしています。

 

 

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▼酒井とし夫新刊「心理マーケティング100の法則」

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米国NLP協会認定ビジネスコーチ 酒井とし夫

■累計講演回数が1,000回を超えるビジネス心理学講演会講師の第一人者。 ■書籍は「心理マーケティング100の法則」「売れる営業のルール」「小さくはじめる起業の教科書」「人生が大きく変わる話し方100の法則」「どん底からの大逆転」「売上が3倍上がる!販促のコツ48」「売れるキャッチコピーがスラスラ書ける本」「広告宣伝心理術」他多数。(「心理マーケティング100の法則」は韓国、台湾、モンゴルでも翻訳出版されている) ■保有資格はランチェスター経営認定講師、米国NLP心理学協会認定ビジネスマスター、米国NLP心理学協会認定プラクティショナー、米国NLP心理学協会認定コーチ、GCS認定コーチングコーチ、コミュニケーション心理学マスターなど多数。 ■講演実績はパナソニック、富士通、ファンケル、山崎製パン、ENEOS、NEC、三井住友海上火災保険、東芝ソリューション、シャープ、キャタピラージャパン、三菱UFJリサーチ&コンサルティング、仙台銀行、第四銀行、新潟県庁、横浜市経済局、日本全国の商工会議所、商工会、連合会、YEG、JC、JCIをはじめとする企業、行政団体、金融機関等で多数。講演依頼も随時受付中。

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